シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想

これはシン・エヴァンゲリオン劇場版の感想を書いた記事です。思い切り内容に言及しているので、まだ見ていない方はブラウザバックをお勧めいたします。

シン・エヴァンゲリオン劇場版の公開

2021年3月8日。シン・エヴァンゲリオン劇場版が公開された。前作の『Q』から延期に延期を重ねて8年4ヶ月待ち続け、遂にこの時がやってきたと思うと感慨深い。結末を見届けるために8日のうちに劇場に足を運び、上映スケジュールにシンエヴァが羅列されているのを見て遂に終わってしまうんだなと実感した。

本編は期待を越える内容だった。そして、上映終了後に色々な感情が溢れ、それを言語化したいと感じてこの感想を書いた。以下では、自分のエヴァの思い出を振り返りつつ、シンエヴァの感想について雑記を書いてみる。

エヴァの思い出

僕は小学校6年生ぐらいの時にテレビアニメ版エヴァと旧劇を見たと記憶している。年代的にはこの時点で『序』が公開されていたはずだが、当時は新劇場版の存在を知らなかった。存在を認知したのは『破』のDVDだかBlu-rayだかが発売され、近所のTSUTAYAの大画面で『破』のPV(下記URL)が再生されていたことがきっかけだった。

これがとんでもなく衝撃的で、「僕の知らないエヴァがある」と思って30分ぐらいずっと画面の前に張り付いていた記憶がある。
『破』の完成度は何度見ても凄まじい。作画の質が抜けて高く、ストーリーも非常に良い。リメイクとしての役目を果たしつつ新要素を織り交ぜていき、3作目の『Q』からは全く新しい展開となることが読み取れる。そのような理由で、次作の『Q』への期待は非常に大きいものだった。

そして2012年11月17日、公開延期を重ねていた『Q』が公開された。

この作品を見た後の絶望感と虚無感は、今思い返しても筆舌に尽くしがたいものがある。一体自分が何を見せられているのかわからないまま本編は終了し、(悪い意味で)膨大な量の謎だけが残された。

僕にとって『Q』という作品は畳む方法もわからないまま広げるだけ広げて放置された風呂敷のような作品だった。ストーリーを残り1作でまとめあげるのはどう考えても不可能だったし(シンエヴァはそれを実現したわけだけど)、純粋に本編映像の意味が分からなすぎて「ふざけるな」に近い感想を抱いていた。というより「これどうなっちゃうんだろう」みたいな悲しい気持ちの方が強かったかもしれない。その思いを抱きつつ8年4ヶ月もシンエヴァ待ち続けるのはかなりしんどいものがあった。

そしてシンエヴァが公開され、冒頭に戻る。以下ではその本編を順々に振り返りつつ、勝手に自分が思ったことを書いていく。

シンエヴァ本編

アバン

アバンの冒頭10分40秒に関しては1年半以上前に0706作戦で公開されており、気楽に見ることができた。マリの「したたかな女」感がよい。

第3村での生活

ここで人々の日常の生活風景が描かれていたのがとても良かった。

エヴァは主人公たちがエヴァに乗って使徒を倒したり苦悩したりするのと同時に、彼らの学校やネルフ本部での日常生活を描く物語でもある。また、第三新東京市に住む一般人の生活風景や街の様子が閑話休題のように用いられることも多い。しかし、『Q』ではそのようなシーンがほとんど描かれず、終始殺伐とした雰囲気があった。そこで感じた「エヴァっぽくなさ」のようなイメージはずっと自分の中に残っており、シンエヴァでも同様の空気が続くものだと思っていた。

しかし本作では、14歳年を重ねたトウジやヒカリ、ケンスケが登場し、コア化していない大地における生存者たちの生活が描かれた。これは完全に青天の霹靂で、こんなシーンが見られるとは全く予想していなかった。そして『Q』で心を破壊されているので、人々がありふれた会話をしているだけでかなり救済を感じた。

また、このパートでシンジや黒波の心の変化が十分な尺を取って描かれていたのも良い。事前に上映時間が155分もあるという情報が周知されていたこともあり、安心して見ることができた。3月22日に放送されたプロフェッショナルでは、庵野監督がこのパートを使うかどうかすら思案していた様子が伺えるが、残してくれて本当に嬉しい。

ヴンダーへの帰還

サクラが可愛い。サクラが可愛い。ニコニコで重い女とか言われていたけど。

あと、サードインパクトについての言及があって良かった。

ネルフ本部強襲

ヤマト作戦発動時のBGMがヤシマ作戦の改変サントラ(EM10A Alterne)で鳥肌が立った。作戦開始時のエヴァの音楽と言えばやはりこれ。そしてヴンダーの発進音(咆哮?)がとてもかっこいい。なんかの動画のコメント欄でその音を「ハアーー(高音)」と表現している人がいたけどかなり秀逸だと思った。

続くネルフ本部へのカチコミでは、ヴンダーと冬月が操舵するネルフ艦隊の戦いが始まる。冬月がこういった表立った活躍をするのは初めてでめちゃくちゃかっこいい。本当にめちゃくちゃかっこいい。そして一昔前のメロディを感じさせるBGMも相まって砲撃戦がとてもアツい。後で知ったことだけど、これは『惑星大戦争のテーマ』という曲のアレンジで、曲名は「激突!轟天対大魔艦」らしい。本当に良いアレンジだと思う。そして、火力的に圧倒的に不利なのに「タイマン上等!!」って言ってヴンダーを三番艦に突っ込ませるミサトと、「相変わらず無茶をする」と笑う冬月。こういう新しいエヴァをずっと見たかったんだよと感極まってかなり泣いた。

全体を通して終始穏やかな冬月の雰囲気がとても良い。3機の戦艦で周到にヴィレ側を追い詰めながらも、笑みを見せたりミサトに賛辞を送ったり。そして、自分たちの進める計画がエゴなことを客観的に理解していたり、それでも止めなかったり。そして最期に、計画を阻止される可能性を顧みず、かつての教え子のマリに全てを託してLCL化するあたりに冬月の暖かい人物像を感じる。

ところで、ネルフ版ヴンダーが複数存在するのはかなりびっくりした。そして、二番艦には主砲が7砲艤装されているけど三番艦には2砲しかないし、四番艦に至っては主砲が搭載されていない。この左右非対称な感じというか不完全な感じがなんとなくエヴァっぽくて個人的に好き。それにしても、これらの戦艦はどうやって建造したんでしょうね(そんなこと言ったら大量のエヴァMark.07とか9~12号機の建造方法も気になるけど)。

アスカの使徒化とゲンドウとの対峙

2号機と8号機がネルフ本部に落下していくシーンは圧巻だった。予告編(↓)にその一部が出ているけど、この背景をぐるぐる回しながらも違和感を感じさせない技術が凄い(と誰かが言っていた)。

アスカの眼帯の秘密については色々議論されていたけど、第9使徒の力を発現するシーンでなるほどな~と思った。そしてこの時の背景楽曲(This Is The Dream, Beyond Belief...)が恐ろしくかっこいい。あまりにかっこよすぎてもうクライマックスかと思った。

その後、ゲンドウがヴンダーに降り立ってミサトたちとやり取りしていたが、ここで人類補完計画などに関する説明があってちょっと驚いた。シリーズを通して人類補完計画ネルフやゼーレが目指す究極目標のように扱われながらもその詳細な説明が少なく、まとまった形で理解することが難しかった。プロフェッショナルにおける「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」という庵野監督の考えはこういうシーンにも影響を与えているのだろうか。

そしてマイナス宇宙へと去っていくゲンドウ。その背中を追いかけることを決意するシンジ。遂に父と向き合うことを決めたんだなと思うと感慨深いものがある。

ここでミサトがヴィレクルーからシンジを庇って向こうの世界に送り出すシーンがとても良かった。『Q』でミサトが「あなたはもう何もしないで」とシンジに言い捨てるシーンはめちゃくちゃネタにされているけど、実はミサトがシンジを大切に思い続けていたことが本作でわかる。そして、その背景にあった苦悩や自責の念についても描写されており、やっぱりミサトさんミサトさんのままだったんだと思った。そしてその思いは、一人でヴンダーに残ってサングラスも帽子も取り、髪をまとめたミサトをみてより一層強くなった。

「やっぱり最後に頼りになるのは昔ながらの反動推進型エンジンね!」

そう!そうなんですよ!って心の中でめっちゃ叫んでいた。『Q』で失われたと思っていた、僕らの良く知っているミサトさんが戻って来てくれたことが嬉しくて、涙が止まらなかった。そして、このシーンにおける背景楽曲(The Path)の壮大なメロディーが素晴らしい。決して珍しくも奇抜でもない音構成ながらも、「シンプルイズザベスト」を体現したような曲でとてもかっこいいと思う。

そして、シンジと未来の子供たちのために命を捨てて槍を届け、誰に看取られることもなく消える最期の言葉が「母さん、これしかあなたにできなかった……」だった点に新しいエヴァとしての結末の一端を感じた。即ち、旧劇におけるミサトは「大人のキスよ、帰ってきたら続きをしましょう」というセリフに垣間見えるように、一人の女としての一面を強調しながら死んでいった。しかし、本作におけるミサトは加持との間に子供を授かり、これまでとは異なる母親という立場になった。そしてシンジのことも実の子供のように深く大切に想っていた。そんな一人の母親として命を落とすミサトの姿はとても美しかったし、これが新しい答えなんだと感じる場面だった。

余談だけど、ミサトがヴンダーでエヴァ・イマジナリーに突っ込むシーンの背景楽曲が『Joy to the world』だったことを後で知った。しかも日本語歌詞。今までブルーグラスアレンジばかり聞いていたのと、本編に集中しすぎて気づかなかった。

シンジとゲンドウ

マイナス宇宙というのがどういう場所なのかハッキリとわかっていない。ゲンドウは「人でない何かがこの場所とアダムスの6本の槍を残した」的な発言をしていた。世界の運命を書き換えられる神の領域みたいなイメージで良いのだろうか。『Q』におけるゼーレへの言及もそうだが、劇場版エヴァでは人でもエヴァでも使徒でもない超現実的な存在が構成要素として用いられているのがおもしろい。

このパートでは、ゴルゴダオブジェクト内に入り込むようなシーンの後に、シンジがベッドの上で目を覚まし、ネルフ本部の初号機格納施設でゲンドウに会う。ここで、ちょっとセリフがあやふやなのだけど、ここがどこなのか訝しむシンジに対して、ゲンドウが「このマイナス宇宙を我々の認知感覚では理解できない。だから記憶が都合のつく映像を見せているだけだ」みたいなことを言っていた。このシーンで、ずいぶん昔のアニメだけど『エレメントハンター』の最終話を思い出した。あれも主人公たちが11次元空間に行き、でもその世界を脳が認識できないので、記憶と整合性のある映像が目に映るみたいな話だった。

続いて、初号機と第13号機が戦うシーンが全体的に特撮で撮られているのがおもしろい。(特撮に詳しいわけではないけれど)特撮は普通のアニメーションと比べると少し違和感を感じさせる映像を提供してくれる。記憶が作り出した第三新東京市というあくまでも虚構の場所で戦っていることを、特撮によって強く印象付けているのだろうか。

さて、本作で最も重要なのはその後のシンジとゲンドウのやり取りだろう。テレビアニメ版と旧劇では、シンジとゲンドウは最後まで分かり合えずに物語が終わったように思う。しかし本作では、ずっとすれ違っていたシンジとゲンドウの対話が成立している。即ち、シンジの「父さんと話がしたい」という言葉に対して、ずっと他人が嫌いだったという独白や、知識やピアノが好きだったという感情の吐露、そしてユイに対する愛情やシンジへの想い。それまでのゲンドウは弱さというものを全く感じさせない人物であり、困惑したり狼狽したりというイメージが皆無に等しかった。そんなゲンドウの今まで十分に語られることのなかった不器用さや苦悩、そして全ての計画の核心が自身の口から語られるのがとても良い。そして、「もう一度ユイに会いたい」というエゴのために何もかもを犠牲にするところに、エヴァがゲンドウの物語でもあるんだなということを再認識させられた。

また、ガイウスの槍が届いたとき、「ユイに会えぬまま槍が届くとは……残念だ」と静かに目を閉じて運命を受け入れるシーンはとても印象的だった。そして、旧劇と同じく「すまなかったな、シンジ」と詫びるだけでなく「シンジ、強くなったな」とその成長を認め、電車を降りる。この電車を降りるシーンでゲンドウが肩を落としてうなだれているような姿だったのが強く記憶に残っており、物語の終わりを感じる描写だった。

さようなら全てのエヴァンゲリオン

アスカやカヲル、レイといったエヴァパイロットたちの魂を解放した後、初号機を槍で貫こうとするシンジ。その背後にユイが現れ、シンジを元の世界へと送り届ける。ここで、ユイとゲンドウが抱き合いながら消えていくシーンは語る言葉がないぐらい良いカットだった。シンジ、そしてユイとゲンドウの純粋な家族愛を露わに描いた場面はとても尊い

そして、この場面の背景楽曲に『VOYAGER~日付のない墓標』が用いられている。この曲は旧劇のラストシーンの『甘き死よ、来たれ』と対応していると思われる。実際、VOYAGERの終盤では『甘き死よ、来たれ』と同じグリッサンド奏法のメロディーが流れている。旧劇のリメイクでありながらも、新しいエヴァの結末を見届けている気分が強まる場面だった。

音楽

エヴァは全体的に使用楽曲(BGMというかOSTというか)がかっこいいのだけど、シンエヴァの楽曲は抜けて素晴らしく感じた。例えば、第3村のパートではギターとコーラスを合わせたシンプルな曲が数多く用いられ、穏やかな空気感を感じられた。また、後半ではクライマックスを感じさせる曲が怒涛の勢いで続き、聞いていてずっと鳥肌が立っていた。どうやったらこんなかっこいい曲が書けるんだろう。25年経っても声優の方々が全員現役でいてくれて良かったというコメントをしばしば見かけたけど、鷺巣詩郎さんが音楽を作り続けてくれて良かったとも強く思う。

草を生やしていたシーン

1. リアルすぎる3DCGで巨大レイ(エヴァイマジナリー)が出てきたシーン。普通に笑いそうになった。周りも「ンフッ」と息を漏らしていた。

2. 第13号機が瞬間移動を繰り返している(は?)のを見たマリが「ゲンドウ君、裏宇宙なのをいいことに量子テレポートを繰り返しているわ」と言ったとき。そうはならんやろ。

3. マリの「さようなら、エヴァ8+9+10+11+12号機」というセリフ。長っ。

まとめ

シンエヴァは25年に渡るプロジェクトの集大成として、テレビアニメ版や旧劇の内容を踏襲しつつ、全く新しい結末を提示してくれた。そして、このシンエヴァは『Q』が無ければ絶対に描かれることはない物語だった。それを考えたとき、8年半に渡って抱いていた「『Q』で何もかもが滅茶苦茶になってしまった』というモヤモヤ感が消え、「『Q』があって良かった」と初めて思うことができた。それと同時に「8年半待って良かった」という感情も湧いてきた。シンエヴァがこれほど素晴らしい作品になったのは、庵野監督を始めとするスタッフの皆さまがじっくりと時間をかけて本作を作り上げてくれたからに他ならない。長い空白の期間を経て、期待を遥かに超えた答えが与えられたことをとても嬉しく思う。

ありがとう、そしてさようなら。全てのエヴァンゲリオン